1739年に花岳寺赤穂義士の墓は建てられました。

花岳寺の義士墓所が建てられたのは、元文4年(1739年)義士の37回忌の時です。
花岳寺の住職で言うと、七世在天益龍和尚の時代です。
当時の赤穂藩主は森家でした。
その家臣・小林貞真を中心とする有志によって建てられました。

伝によると、墓には赤穂義士の遺髪が埋められています。

墓の順番は、右から格式順に建てられています。
必ずしも禄高順ではありません。

寺坂吉右衛門の墓について

一番最後の順の寺坂吉右衛門は、建立当時は存命中であり、後年、森家の同じく足軽であった野山斧右衛門によって建てられました。
「彼も足軽、我も足軽。同じ忠義を働きながら、足軽であるからという理由で墓を建てることができないというのは誠に残念。」とし、自ら施主を務めました。

ちなみに、赤穂義士の法名の頭字には刃の字があります。
しかし寺坂吉右衛門の場合、切腹をしていないので刃の字がありません。
普通の法名となっています。

奥の墓所について

花岳寺には、他に、浅野家三代の墓、大石家代々の墓、義士の家族の墓などがあります。
その石に刻まれたお一人お一人についての詳しいお話は、花岳寺案内記に記しておりますので、そちらをご参照下さい。

花岳寺案内記 (カラー写真と47問答で花岳寺をご案内)

内容は下記の通り

1)義士の寺花岳寺について
2)建物について
3)義士の木像と墓所について
4)宝物について
5)奥の墓所について
6)その他について

花岳寺 拝観受付にてお買い求めいただけます。